遮蔽壁

意思の疎通はイルカにだって出来ます。
人間だって、人間同士意志の疎通は出来る筈なんです。
ただ、人間はあまりにも受け止め切れないから遮断するように進化しただけなのかも知れない。
考えても見てください。誰もがみんな自分の頭の中身を丸々相手に伝えられるとしたら…
生い立ち・記憶・環境全てが一気に流れ込んでくる訳です。要するに頭の中の容量をざっと二倍にされてしまうのと同じ。
それだけの情報量が一気に流れ込んでくれば頭は壊れてしまうでしょうね。
だから人間同士頭の中身を直結させることは出来ないんです。
逆にこの壁を取っ払うことが出来る人が居たら…

エスパー伊藤の事を思い出したらなぜかこんな事を書きたくなった。電波ゆんゆん
あー、チーズ蒸しパンになりたい。将来の夢:チーズ蒸しパン ホラ、最高じゃん!

夢と現と幻と

一つ目は心地の良い空間。脳がトリップしすぎると遅刻で死にます。
二つ目は厳しい空間。脳が覚醒してないと死にます。
三つ目は一番ダメージのでかい空間。脳が誤認しすぎていると死にます。
夢と現実はよく対比で取られたりするのですが、現と幻、幻と夢、夢と現と三竦みの様に取ってみるのも一興であると思いませんか?
光と影の様に相対するものは幾らでもあるものですが、それに更に一つの概念を加えて全てが全てを引き立たせる役目を持たせる。世界の概念を根底から捻じ曲げ、常識の檻から抜け出さない限りは何も生み出すことは無い、なんて思ったり。

青いブリンク

カケル君に与えた勇気の数だけブリンク自身の目方が減ってく設定なら手塚治氏は鬼畜を通り越して神になれたのに。
昔むかしの話です。この青いブリンクと言うのは(中略)で、年寄りの道楽もとい夢オチの最先端を走っていた作品だった様に記憶しています。
登場するキャラクターもカケル君が父親を探すために搭乗するバスの運転手のガチホモタンバ、我侭放題ピンクの悪魔キララ姫、覆面の怪傑デブロビン細ロビンの劣化コピペのニッチとサッチ。
某なんちゃら風に書くとすれば

  1. 自己紹介させてもらう!俺は父親を探す旅が全36話程度もあるもやしっ子のカケル!
  2. スカートの丈が日傘程度もある我侭放題のキララ姫!
  3. 寝ずにバスを延々走らせ続けた記録を持つ…タンバ!
  4. 一回のオンエアで数分しか出番も無い時もあるニッチとサッチ!

それぞれどんなキャラだったかなんてもう忘却のかなたなんでそんなに覚えては居ませんが、カケル君の声が野沢正子だったのは覚えてます。
物語は30分アニメで、一回の放送毎に必ずと言って良いほどカケル君が「震えるぞハート!(臆病に)燃え尽きるほどヒート!(消し炭になりそう)」な位危機的な状況に直面し、不思議なウマ面ことブリンクから勇気を貰って困難をブレイクスルーすると言うお話だった気がします。

ところでカケル君とカケル君のお父さんはあんな森の一軒家でどうやって暮らしていたんでしょうね。お父さんが確か物書きの人だった様な気がするので、集中するために人里を離れて野に還ったんでしょうか。

痛かった。夢の中でお腹を撃たれた。
穴が開いたのが良く分かった。何か出てきた。痛い。気持ち悪い。
でも傷口には視線は落とせない。否、傷口って情報が頭に無いから見えなかっただけだと思う。
身体を突き抜けて行く鉛弾の感触とか、夢でなまなましく感じすぎるから困りものなのです。しかしソレは頭の中で作り出した架空の感覚であるのに違いなく。
或いは前世、撃たれて死んだかそうなったかのどちらかなんでしょう。

表情論

人間の表情のお話。

人間が泣いたり笑ったり怒ったり喜んだりするのは気持ちを表面の形に表したいからなのでしょう。逆に言えば他の方法で表すことが出来れば表情なんて概念は一切必要なし。
気持ちを形にするののほかに、相手に読み取られる、なんて役割もあります、表情。
逆に無表情を維持出来れば相手に意思を汲み取られにくい、と日常生活の範疇では全く意味を成さない、むしろマイナスイメージしか植えつけないと言う非常に厄介な代物です。
なので警戒をすべきなら表情は前には出さない方が上等、もとい常套な訳でありまして――なんてこんな事書いていて結局アホらしくなったのでやっぱりやめました。
けれども、無表情を「装う」人と「自然」な人と世の中には二種類居る気がするんですよ。前者は良く訓練された何か、後者は表情をブッ壊された成れの果て。笑えなくなる様な何かを経験した時の抜けた表情こそ真の無表情に変わりありません。

今日のエントリーは不謹慎気味ですね。東方のやりすぎですね。

キャパ論

人間のキャパのお話。

人間、生まれつき5感に対して一定量のキャパを割り振っているのだと思います。
殆どの人間はそのキャパが五分五分になる様に振られるのですが、稀に聴力の強い子が生まれたり、視力のバカみたいに強い子が生まれたり。
或いはキャパの限界を突破した「天才」も中には居るかも知れません。
人生を歩んでいてもこのキャパの範囲内で能力は可変させることも可能、なのかも。
きっとこのキャパの量も遺伝子の配列の中にこっそりと振り込まれているに違いない、と思う自分。
故に何かの感覚を封鎖すれば余ったキャパは別の感覚に寄る事も無きにしも非ず――ってこんな事書いていてアホらしくなったのでやめました。
けれども、何かの感覚と引き換えに何かの別な感覚が卓越している人間、数えれば星の数ほど居るモンですよね。